東京高等裁判所 平成9年(ネ)3498号 判決 1998年3月31日
控訴人(原告) 大塚製薬株式会社
被控訴人(被告) 東和薬品株式会社
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴人の当審における請求を棄却する。
三 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、平成一〇年一〇月二八日までは、原判決別紙目録(一)記載の物質を製造し、輸入し又は使用してはならない。
3 被控訴人は、前項記載の物質を廃棄せよ。
4 被控訴人は、平成一〇年一〇月二八日までは、原判決別紙目録(二)記載の医薬品を製造し又は販売してはならない。
5 被控訴人は、前項記載の医薬品を廃棄せよ。
6 被控訴人は、第4項記載の医薬品についてなされた原判決別紙目録(三)記載の医薬品製造承認について、厚生省薬務局長に対し承認整理届を提出せよ。
7 被控訴人は、控訴人に対し、金一六〇万円を支払え。(控訴人は、原審における損害賠償請求のうち、主位的に被控訴人の平成八年七月から九月までの期間の製造販売を理由とする一五〇万円の請求を、被控訴人の本件各特許権の満了後平成九年一一月末日までの期間の販売を理由とする三七四万円の内金一五〇万円の請求に変更し、無形損害を理由とする予備的請求及び遅延損害金の請求は減縮した。)
8 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
との判決及び仮執行宣言
二 被控訴人
主文と同旨
第二事案の概要
事案の概要は、次の一項のとおり訂正し、二項において当審における控訴人の主張を付加するほかは、原判決の事実及び理由「第二 事案の概要」のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の訂正
1 二六頁二行目〔知裁集三〇巻一号一三九頁五行目から六行目にかけて〕の「の製造により」から同頁三行目末尾〔同上、同頁六行目末尾〕までを「を製造したが、右の実施料相当額は、少なくとも一〇万六〇八七円である。控訴人は、その内金一〇万円を請求する。」と改める。
2 二六頁九行目〔同上、一三九頁一〇行目〕の「平成八年」から二七頁二行目末尾〔同上、同頁一三行目末尾〕までを「本件各特許権の満了後、平成九年一一月末日までの間に、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤(シロップは除く。)を合計三七四〇万円販売し、少なくともその一割の三七四万円の利益を得た。控訴人は、その内金一五〇万円を請求する。」と改める。
二 当審における控訴人の主張
1 争点1について
(一) 原判決は、特許権の存続期間中に被控訴人のした医薬品の製造承認申請のための試験を、特許法六九条一項に規定する「試験又は研究」に該当するとした。しかし、右解釈は、東京地方裁判所昭和六二年三月二五日判決(判例時報一二四六号一二八頁)が、特許法六九条の「規定の趣旨は、試験又は研究は本来技術を次の段階に進歩せしめることを目的としたものであって、特許に係る物の生産、譲渡等を目的としたものではないから、特許権の効力をこのような試験、研究にまで及ぼしめることは、かえって技術の進歩を阻害するということであって、同条の右立法趣旨からすれば、本件のような農薬の販売に必要な農薬登録を得るための試験は、技術の進歩を目的とするものではなく、専ら被告除草剤の販売を目的とするものであるから特許法六九条にいう「試験又は研究」に当たらない」と判示しているのを始めとする従来の裁判例の流れや通説的な学説にも反する結論である。そして、被控訴人の右行為は、まさに技術の進歩を目的とするものではなく、専ら被控訴人のゾロ品の販売を目的とするものであるから、同条の「試験又は研究」には当たらないのである。
(二) 特許権者は、排他的独占権としての「業としての特許発明を実施する権利」を専有している。したがって、特許権の効力が制限されるのは、ごく例外的な場合でなければならない。
原判決は、被控訴人の右行為に特許権の効力が及ばないとした理由付けの中で、被控訴人が「控訴人と直接競業していない」とか「直接収益を得ていない」というような被控訴人側に関する点をあげるが、これは誤りである。特許権者は事業に関連のあるもの全てについての利益を確保できるのであるから、間接の競業、間接の収益であっても、第三者がこれを得ることが許されるものではない。
さらにいえば、被控訴人側に関する点ではなく被控訴人の行為によって排他的独占権を有する特許権者が不利益を被るかどうか、その不利益を強要してもやむを得ないかどうかを視点にすえなければならない。なぜなら、特許権の効力を制限することが許されるか否かということは、特許権者がどのような立場の変化を強要された場合にその不利益を受忍すべきかという問題だからである。
(三) 原判決は、特許期間が満了すれば何人も発明を実施できることとなり、それが特許制度の根幹の一つであるという。
しかし、特許権者は、その特許期間満了までは出願当初から実質的に排他的独占権を有することによって、経済的な利益を得られることが制度としての前提となっている。ところが、本件のような医薬品の場合には、特許出願をしても最初の数年間はかかる利益を受け得ない立場に立たされるから、その意味では、他の特許権とは異なる少な目の経済的利益、市場利益しか得られない宿命にある。もし、この状態が薬事法上の制限であってやむを得ないというのであれば、薬事法が特許期間中のゾロ品の製造承認申請のための試験を本来的に容認しているということはあり得ないから、後発者にも違法行為を奨励してはならないのである。
(四) 医薬品の製造承認は、それを他の事業者に譲渡等することもでき、重要な財産的価値を有するものであるから、承認申請のために少ない侵害品が製造使用されたとしても、承認をしかるべき価額で直ちに譲渡できる結果を招来するものである。また、医薬品の価額は、健康保険制度においては、「薬価」が定められており、後発品(これは先発品に比較してはるかに安い。)が出るとたちまちに下げられ、これは直ちに製薬会社の利益に影響する。このように、特許期間中に本件行為が行われると、先発者の収益(そして開発投資費用の回収)に直ちに重大な影響が出る。これに対し、後発者は、発売が遅れることによって損失が発生するということもない。両者の利益の考量はかかる視点でもとらえられるべきである。
2 争点2について
控訴人は、特許権が所有権的側面を有しており、物権的請求権が認められていることから、所有権に基づく物権的請求権の制度を、本件のような利益状況の下における特許侵害の場合に類推適用することを求めているのである。
仮に特許権存続期間満了後も若干の期間製造販売を禁止することについて現行法に明文の規定がないというのであれば、信義則の有する「法修正的機能」や「法創造的機能」を利用して、裁判所の公正・妥当な判断が下されるべきである。
第三証拠<省略>
第四当裁判所の判断
当裁判所も、控訴人の本訴請求は、当審における請求も含めて理由がないと判断するところ、その理由は、次のとおり当審における控訴人の主張に対する判断を付加するほかは、原判決の事実及び理由「第三 当裁判所の判断」と同じであるから、これを引用する(ただし、三六頁三行目〔同上、一四二頁一九行目〕の「分量、」の次に「構造、」を、「用量、」の次に「使用方法、」を加える。)。
(当審における控訴人の主張に対する判断)
一 控訴人の前記第二、二1(一)の主張は、特許法六九条一項にいう「試験又は研究」は、技術を次の段階に進歩せしめることを目的とするものに限られると主張する趣旨と理解される。しかし、同条項の文言上、「試験又は研究」については、控訴人の主張するような留保は付されていないのであって、試験又は研究に藉口して、実際には特許権者又は特許権者の許諾を受けた者の実施行為と直接競業することになる行為や、譲渡の対価、使用による便益の対価及び製造物の蓄積・保存等の直接の利益を目的とする行為の如く、実際には試験又は研究ではない行為が同条項の「試験又は研究」に該当しないことは当然としても、同条項を控訴人主張のように限定的に解釈する理由はない。右にいう「試験又は研究」には、公益目的に資する「試験又は研究」に加え、薬事法の規定に基づく医薬品の製造承認申請のための試験をも含むことは、前述(本判決において引用する原判決三四頁四行ないし四二頁一行〔同上、一四二頁六行目ないし一四五頁一行目〕)のとおりである。
この点について、甲第一六号証(中山信弘作成の鑑定書)には、医薬品の製造承認申請のために行われる生物学的同等性試験は、申請対象の医薬品を患者に投与するのではなく、健康な人間に投与し既存の医薬品と比較して有効成分の血中濃度を測定する試験であるから、患者を対象とした臨床試験とは異なり、既存の医薬品の特許性を支える薬効自体の改良につながるような資料は得られず、服用しやすい剤型の工夫などマイナーな改良の端緒となる資料が得られる可能性はあるが、かかる程度では、特許権者の利益を犠牲にしてまで適法とすべきと評価されるような改良につながるものではなく、機能性調査としても、有効成分の血中濃度を測定するだけであり、販売のための製造承認を得ることが主たる目的であることを考え併せれば、特許法六九条一項により特許権の効力の範囲外とするに値するものではないとの見解が記載されている。しかし、同条項の「試験又は研究」が、医薬品の薬効等その技術の改良を目的とするものに限られるものではないことは、前示のとおりである。また、生物学的同等性試験は、後発品である医薬品について、化学構造式においては新医薬品として承認を与えられた医薬品(又はそれに準ずる医薬品)と同じであることを前提として、生物学的に同等であることを証明するために薬事法及び同法施行規則によって要求されているものであるが、同法及び同法施行規則がこのような試験の実施を要求するのは、後発品である医薬品が、新医薬品として承認を与えられた医薬品(又はそれに準ずる医薬品)と有効成分、投与経路、効能効果、用法用量、剤型、含量が同じであるのに、何らかの未知の要因ないし副材料の出所や製法等の相違による影響等により生物学的には同等でない場合があることから、医薬品としての有効性、安全性を確保するために、そのような場合であるか否かを明らかにする必要があることによると解される(そうでなければ、生物学的同等性試験を要求する必要はない。)。そうすると、生物学的同等性試験によって、後発品である医薬品が同等であるか否かが判明することもやはり技術的進歩ということができるのであって、右試験は、後発医薬品の製造承認のために行われる規格及び試験方法に関する資料、並びに加速試験に関する資料を得るための各種試験と相俟って、先発医薬品の研究開発とは程度の差はあるものの、技術的進歩の面でも社会一般の利益と結びついているということができる。したがって、これを特許法六九条一項により特許権の効力の範囲外とするに値しないということはできないから、これと異なる前記見解は採用できない。
さらに、甲第一六号証には、特許法に存続期間の延長登録制度が導入された際に、アメリカでは製造の許可を得るための試験は侵害を構成しないとする規定と特許期間中には製造承認申請を行えないとする規定が新設されたのに、日本特許法では何ら措置は講じられなかったのは、当時農薬取締法に基づく農薬登録を得る目的でなされた試験について、技術の進歩を目的とするものでなく専ら販売を目的とするものである場合には、特許法六九条一項にいう「試験又は研究」のための実施に当たらないとの一般論を明確に打ち出した前掲東京地方裁判所判決があり、右判決が学説の多くの賛同を得ていたから、この判決及び学説を前提としたことによると解すべきであるとの見解が記載されている。しかしながら、同条項の「試験又は研究」には、文言上何らの留保も付されていないのであるから、製造の承認を得るための「試験」を除くとする趣旨であるならば、法改正の際にこれを文言上も明らかにするのが自然である。まして、右東京地方裁判所判決は、専ら除草剤の販売を目的とする農薬登録を得るための薬効等の試験に関する地方裁判所段階のわずか一件の裁判例であり、これが確立した判例であったということは到底できないから、右裁判例の判示した一般論に従う趣旨であるのに文言上これを明らかにする措置が採られなかったとは解しがたい。したがって、右見解も採用できない。
二 控訴人は、特許権者は、排他的独占権としての「業としての特許発明を実施する権利」を専有しているから、特許権の効力が制限されるのは、ごく例外的な場合でなければならないと主張する。しかし、特許権は特許法によって認められたものであるから、その権利は同法によって産業政策上の見地等から制限されることがあるのは当然であって、それがごく例外的なものに限られなければならない理由はない。
また、控訴人は、薬事法に基づきいわゆる後発品の製造承認の申請に添付する目的でされた試験が特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当するか否かの判断に当たり、被控訴人が右試験のために甲発明及び乙発明を実施したことによって直接収益を得たわけでもなく、控訴人と直接競業したものでもないことを考慮することは誤りであると主張する。しかし、被控訴人の右実施は、後発品を市場において販売したり、特許権者である控訴人の営む事業と競合してこれを妨げたものでもないから、これによって直接収益も得ていないし、控訴人と直接競業したわけでもない。したがって、特許権者の特許期間中における経済的利益の独占に影響を与えていないのであるから、特許権者の利益と第三者ないしは社会一般の利益との調整を図るという観点から考量するに当たり、そのことを考慮するべきは当然である。
三 控訴人の前記第二、二1(三)の主張は、本件のような医薬品の場合には、薬事法による製造承認のための審査により、特許出願をしても最初の数年間は業としての製造が許されないため、他の特許権とは異なる少な目の経済的利益、市場利益しか得られない宿命にあることが考慮されるべきであると主張する趣旨と理解される。しかし、薬事法による製造承認の審査は、医薬品の有効性や安全性の確保を目的とするものであって、特許法とは別の目的による別の制度による制約であるから、右審査があることを特許法の解釈に反映させなければならないものではない。そうでないと、薬事法による規制如何によって(例えば、右審査制度の変更によって)、これとは別の目的のもとに設けられた法律である特許法の解釈が変更される結果を招来することになるが、このような法解釈を正当であると認めることはできない。のみならず、特許法は、いわゆる医薬特許について、薬事法という別の目的、制度からする法規制があることによって、特許発明の実施が相当期間妨げられることになることを考慮し、薬事法一四条一項等に規定する医薬品の製造、輸入の承認をもって、特許権存続期間の延長登録の要件となる処分と定めている(同法六七条一、二項、同法施行令一条の三の二号)のであって、いわゆる医薬特許について、控訴人の主張するような事情の存することは、特許権存続期間中になされた後発品の医薬品製造承認を得るために必要な試験をもって特許権侵害に該当すると解すべき理由となるものではない(多額の研究開発費を要する医薬特許の保護の見地から、現行規定で足りるかどうかは、立法政策の問題であって、現行法の解釈問題ではない。)。
四 控訴人は、後発品が出ると先発者の収益に影響が出るのに対し、後発者は、発売が遅れることによって損失が発生するということもなく、得た医薬品の製造承認は財産的価値を有するから、かかる視点でも両者の利益考量をすべきであると主張する。しかし、控訴人の主張する先発者の収益への影響とは、特許権の存続期間経過後の収益をいうものと解されるところ、特許権の存続期間経過後は何人も特許されていた発明を実施することができるのであるから、これにより右収益に影響が出ることは制度上やむを得ないというべきである。これに対して、特許権の存続期間経過後の実施を妨げるとすれば、第三者ないし社会一般に損失がないということはできない。したがって、控訴人主張の事情を考慮したとしても、被控訴人が本件各特許権の存続期間中に行った製造承認申請に添付するための試験が、特許法六九条一項に規定する「試験又は研究」に当たるとの前記判断を左右するものではない。
第五結論
よって、原判決は正当であって、本件控訴は理由がないから棄却し、控訴人の当審における請求を棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法六七条、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 持本健司 裁判官 山田知司)
【参照】原審判決の主文、事実及び理由
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、平成一〇年一〇月二八日までは、別紙目録一記載の物質を製造し、輸入し又は使用してはならない。
二 被告は、前項記載の物質を廃棄せよ。
三 被告は、平成一〇年一〇月二八日までは、別紙目録二記載の医薬品を製造し又は販売してはならない。
四 被告は、前項記載の医薬品を廃棄せよ。
五 被告は、第三項記載の医薬品についてなされた別紙目録三記載の医薬品製造承認について、厚生省薬務局長に対し承認整理届を提出せよ。
六 被告は、原告に対し、金一六〇万円及びこれに対する平成八年一二月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、存続期間の満了した化学物質の発明及び医薬品の発明についての特許権を有していた原告が、被告において当該各特許発明の技術的範囲に含まれる医薬品の製造承認を得るため存続期間満了前にした試験が原告の特許権を侵害する行為であるとして、特許法一〇〇条一項及び民法一条二項に基づき、被告が存続期間満了後に試験を開始したとすれば、被告において製造承認を得られたものと見込まれる時期までの間、各特許発明にかかる化学物質を製造、輸入、使用する行為、医薬品を製造、販売する行為の差止め、右化学物質及び医薬品の廃棄を請求し、特許法一〇〇条二項及び民法一条二項に基づき、被告の得た医薬品製造承認について承認整理届の提出を求めるほか、民法七〇九条に基づき損害賠償を請求する事案である。
二 争いのない事実
1 原告の特許権
原告は次の二つの特許権を有していた。
(一) 新規化学化合物の特許権(以下「甲特許権」といい、その発明を「甲発明」という。)
(1) 出願日 昭和五一年四月二八日(特願昭五一-四七八九二号)
(2) 優先権 一九七五年四月二九日のニュージーランド特許出願に基づく優先権主張
(3) 公告日、公告番号 昭和六〇年六月二五日(特公昭六〇-二六七八四号)
(4) 登録日、登録番号 昭和六一年二月二八日(登録第一三〇四〇七八号)
(5) 発明の名称 新規カルボスチリル誘導体
(6) 特許請求の範囲 本判決添付の特許公報抄本1該当欄記載のとおり
(7) 存続期間満了 平成八年四月二八日
(二) 製剤の特許権(以下「乙特許権」といい、その発明を「乙発明」という。)
(1) 出願日 昭和五一年四月二八日(特願昭五九-二一四〇九五号)
(2) 優先権 一九七五年四月二九日のニュージーランド特許出願に基づく優先権主張
(3) 公告日、公告番号 昭和六一年九月三日(特公昭六一-三九二八八号)
(4) 登録日、登録番号 昭和六二年四月二二日(登録第一三七六二一三号)
(5) 発明の名称 新規カルボスチリル誘導体を含有する気管支拡張剤
(6) 特許請求の範囲 本判決添付の特許公報抄本2該当欄記載のとおり
(7) 存続期間満了 平成八年四月二八日
2 原告の実施
(一) 別紙目録一で化学構造式をもって示した化合物は、化学名は、甲発明の特許請求の範囲第4項に記載された5-〔(1-ヒドロキシ-2-イソプロピルアミノ)ブチル〕-8 ヒドロキシカルボスチリル塩酸塩であり、一般名を「塩酸プロカテロール」と称する化合物である。
(二) 原告は、右塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤(商品名「メプチン」)を製造販売している。剤型としては、塩酸プロカテロールを〇・〇五mg含有する錠剤「メプチン錠」、〇・〇二五mg含有する錠剤「メプチンミニ錠」及び一ミリリットルあたり〇・〇〇五mg含有するシロップ「メプチンシロップ」等がある。
3 被告の行為
(一) 被告は、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の製造、販売を企図し、別紙目録三記載のとおり、薬事法一四条所定の医薬品製造承認を受けた。
(二) 医薬品の製造承認申請に必要な資料を得るための各種試験には、甲発明の技術的範囲に属する塩酸プロカテロールを自ら製造するか、または輸入若しくは他より購入して使用し、乙発明の技術的範囲に属する医薬品を製造する必要がある。
(三) 被告は、塩酸プロカテロールを製造、輸入、使用し、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の製造、販売を準備していたところ、平成八年七月から同年九月まで、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤である商品名「エプカロール」をトミジェック吉富株式会社に販売した。
4 薬事法に基づく製造承認に至る経緯
(一) 先発メーカーの新薬開発の経緯の概略
(1) 基礎研究(二~三年)
<1> 新規物質の創製
<2> 物理的化学的性状の研究
物理的・化学的に新規物質の性状・構造等を調べる。
<3> スクリーニング
新規物質のなかから薬効が認められる有用物質を選び出し、動物実験で薬効と毒性を比較する。これにより開発を継続するか断念するかを決定する。
(2) 動物での前臨床試験(三~五年)
<1> 薬効薬理研究
どれくらい与えると効果があるか、どのような方法で使用するか等を調べる。
<2> 薬物動態研究
体内でどのように吸収され、分布し、排泄されるかなどを調べる。
<3> 一般薬理研究
どのような部分にどのような強さ、速さで作用するか等の薬の性質を全体的に調べる。
<4> 一般毒性研究
短期・中期・長期に分けて毒性(安全性)を調べる。
<5> 特殊毒性研究
発癌性や胎児への影響がないかなど特定の毒性(安全性)を調べる。
(3) 臨床試験(三~七年)
<1> 第一相試験(フェーズ1)
少数の健康人志願者を対象に安全性のテストを行う。
<2> 第二相試験(フェーズ2)
少数の患者で安全性と有効性を確認する。
<3> 第三相試験(フェーズ3)
多数の患者で「二重盲検試験」などにより、既存薬などと比較して新薬の有効性を検査する。
(4) 承認審査(二~三年)等
<1> 医療上の有効性と安全性が確認された新薬について、厚生省に薬事法上の製造承認を申請するが、その資料としては次のものが必要となる(薬事法一四条三項、施行規則一七条、一八条の三)。
イ 起原又は発見の経緯及び外国における使用状況等に関する資料
1 起原又は発見の経緯に関する資料
2 外国における使用状況に関する資料
3 特性及び他の医薬品との比較検討等に関する資料
ロ 物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料
1 構造決定に関する資料
2 物理的化学的質等に関する資料
3 規格及び試験方法に関する資料
ハ 安定性に関する資料
1 長期保存試験に関する資料
2 苛酷試験に関する資料
ニ 急性毒性、亜急性毒性、慢性毒性、催奇形性その他の毒性に関する資料
1 急性毒性に関する資料
2 亜急性毒性に関する資料
3 慢性毒性に関する資料
4 生殖に及ぼす影響に関する資料
5 依存性に関する資料
6 抗原性に関する資料
7 変異原性に関する資料
8 がん原性に関する資料
9 局所刺激に関する資料
ホ 薬理作用に関する資料
1 効力を裏付ける試験に関する資料
2 一般薬理に関する資料
ヘ 吸収、分布、代謝、排泄に関する資料
1 吸収に関する資料
2 分布に関する資料
3 代謝に関する資料
4 排泄に関する資料
ト 臨床試験の試験成績に関する資料(五ケ所以上一五〇例以上-主要効能あたり二ケ所以上、一ケ所二〇例以上)
<2> そして、中央薬事審議会の審査をパスしたものに対し、厚生大臣から製造承認が下され、更に、通常は、健康保険医薬の適用を受ける薬価基準収載の後に販売されることになる。
(5) <1> 市販後調査(第四相試験[フェーズ4])
新薬の場合は製造承認後六年間、多くの患者に投薬された結果、開発段階では発見できなかった副作用や有効性のデータ収集が義務づけられている。
<2> 再審査
そして、その収集データを製造承認六年経過後に提出し、有効性、安全性の再審査を受けるように義務づけられている。
(二) 原告の本件各特許発明の実施品である医薬品の開発経緯
(1) 昭和四八年四月 基礎研究開始
(2) 昭和四九年二月 プロカテロールの創製
(3) 昭和四九年四月 動物での前臨床試験の開始
(4) 昭和五一年一月 臨床試験開始
(5) 昭和五三年一二月九日 製造承認申請(メプチン錠[剤型 錠剤])
(6) 昭和五五年一〇月二五日製造承認(右同)
(7) 昭和五五年一二月二五日薬価収載(右同)
尚、別剤型は昭和五七年一〇月七日(メプチンシロップ、同顆粒、同ミニ錠)、昭和六二年六月三〇日(同吸入液、同エアー、同キッドエアー)の製造承認を受けている。
(8) 原告は、昭和六二年一月二三日、メプチン錠、同原末、同シロップ、同ミニ錠、同顆粒の再審査申請を行い、昭和六三年一月四日、右再審査結果の通知を受けた。
また、メプチン吸入液、同エアー、同キッドエアーの再審査申請は平成五年九月二七日であり、その再審査結果の通知は平成八年三月七日である。
(三) 後発メーカーの製造承認について(薬事法一四条三項、施行規則一八条の三)
(1) これに対し、後発メーカーの場合は、多くの費用がかかる基礎研究、動物による前臨床試験及び臨床試験は必要がないばかりか市販後調査、再審査も義務づけられていない。
(2) 更に製造承認の申請においても、既に先発メーカーが提出した資料により有効性、安全性が確認されているため、以下の資料の添付のみが必要とされているだけである。
<1> 規格及び試験方法に関する資料((一)(4) <1>ロの資料の一つ)
<2> 加速試験に関する資料((一)(4) <1>ハの資料の一つで、一定期間変化のないことを示す資料)
<3> 生物学的同等性に関する資料((一)(4) <1>への一つで先発医薬品と同等の有効性等があることを示す資料)
5 整理届について
(一) 医薬品の製造承認は申請にかかる物が医薬品として品質、性状が適切であり、有効かつ安全な医薬品か否かの観点から審査されるものであり、法的には厚生大臣の行う行政行為であって一種の公認行為と解されている。
(二) したがって、特許法等違反の事由があったとしても、該事由は承認の取消事由には相当しない(薬事法七四条の二)。また、製造承認前の申請段階であるなら、該申請行為を撤回することも可能であるが、承認後は申請者からの取消申立等の制度はない。
(三) 医薬品の製造承認を申請者の行為によって、将来に向かって取消す手続としては「医薬品の製造等の承認の整理」届出がある。右は、製造承認を受けた品目のうち、すでに用途を果たした等の理由(但し、実務上は特に具体的な理由は要求されていない。)で、医薬品の製造承認を取り消す制度である(昭和四六年六月二九日薬発第五八八号、平成七年三月三一日薬発第三四七号一部改正)。
三 争点
1 特許権の存続期間中に、被告のした医薬品の製造承認申請に必要な各種試験は、特許権の侵害行為といえるか。
(一) 原告の主張
(1) 被告が医薬品の製造承認を得る目的でした各種試験を行なうための塩酸プロカテロール(原末)の製造、輸入又は使用は、甲特許権を侵害する。また、この塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の製造は、乙特許権を侵害する。
(2) 被告の右行為は技術の進歩を目的とするものではなく、被告の医薬品の販売を目的とするものであるから、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」ではない。また、右の製造は被告の営業のためになされたものであるから「業として」なされたものである。
(二) 被告の主張
(1) 被告の右行為は、特許法六九条にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当する。
(2) 昭和六二年、我が国において特許期間回復の制度が設けられた際、米国特許法二七一条e項のような、満了後試験が特許権侵害に当たらないとする規定を設けなかったが、それは、満了後試験を違法とする立法意思がなかったからである。
(3) また、後発メーカーが存続期間満了後必要な試験を開始する場合、事実上旧特許権者が二年間の独占を享受できるとしても、それは特許法が目的とし保障する利益でなく、反射的利益にすぎない。満了後試験を行うことが特許権者の存続期間中のビジネスに影響を与えないのに対し、満了後試験を行わないことにより、期間満了後第三者の当該発明の自由利用がなく、消費者の利益を損なうことになり、特許制度の趣旨に反する。よって、利益考量からも、満了後試験は実質的に違法性がない。
2 特許権の存続期間満了後、差止、廃棄請求ができるか。
(一) 原告の主張
(1) 特許権者はその特許権の対象たる発明につき、存続期間中、その実施につき独占権を保障され、第三者はその不実施の義務を負担している。これを本件に当てはめれば、原告は本件各特許権の存続期間である平成八年四月二八日まで本件各特許権の実施につき独占権を保障され、被告は不実施の義務を負担したのである。そして、この独占権の保障は、特に多年の研究開発期間と多額の開発経費を要する医薬品発明においては重視されるべきものである。
(2) 原告の特許法上の地位が保障されたとしたら、すなわち、被告が特許法を遵守したならば、医薬品製造承認申請に添付する実験データを得るのに必要な試験の期間に六か月、右申請に対する厚生省の審査に二年を要するから、被告の医薬品の製造販売行為は、平成一〇年一〇月二九日以降しかできなかったはずである。ところが、被告は、原告の本件各特許権の存在、その技術的範囲を知悉しながら、これを無視し、前記の侵害行為を本件各特許権の存続期間中になし、もって、早期の製造販売の開始を企図したのである。
(3) 特許法上の独占権の保障は、該特許権の存続期間中であることは原則ではあるが、その存続期間経過後においても本件のような場合には信義則上及ぶと解釈されるべきものである。なぜなら、特許権の存続期間中に故意に違法行為をなした者が、その違法行為をなしたことにより有利な地位になることは公平、正義に反するからである。
(4) よって、原告は特許法一〇〇条一項、民法一条二項に基づき、平成一〇年一〇月二八日までの間、被告が塩酸プロカテロールを製造、輸入又は使用すること、右を有効成分とする気管支拡張剤を製造販売することの差止を請求するとともに、その廃棄を請求するものである。
(5) また、特許法一〇〇条二項の「その他侵害の予防に必要な行為」として、同条二項及び民法一条二項に基づき、被告に対する各医薬品製造承認についての承認整理届の提出を求める。
(二) 被告の主張
特許権の存続期間の制度は特許制度の根幹をなすものである。存続期間満了と同時に市場独占を廃止し、一般に発明利用の享受を保障するのが特許制度の目的であるから、期間満了後の即時参入を目的とする、特許権者の特許期間中の独占利潤に何の影響も与えない準備行為それ自体は、特許法上実質的違法性を欠くものであり、かかる準備行為の故に信義則上特許権の存続期間が延長されることはない。特許権の存続期間の満了は、本来自由である経済活動の一時的禁止の廃止であり、その後の第三者の特許発明に対する地位は、権利義務の関係ではないから、そこに信義則の介入する余地はない。
3 損害の有無及び額
(一) 原告の主張
(1) 被告は、本件各特許権の存続期間中の前記試験を行うための塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の製造により、少なくとも一〇万円の利益を得た。
(2) 被告が本件各特許権の存続期間満了後承認申請に必要な試験を行えば、被告が医薬品を製造販売開始できるのは平成一〇年一〇月二九日以降であるから、存続期間経過後であっても右期日より前の医薬品の製造販売行為により被る原告の損害は、被告が存続期間中に行った承認申請に必要な試験による本件各特許権の侵害と相当因果関係がある。
(3) 被告は、平成八年七月から九月まで塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤の製造販売により、少なくとも一五〇万円の利益を得ている。
仮にそうでないとしても、原告は、被告の特許権侵害行為により、業務上の信用を毀損され、無形損害として、一五〇万円の損害を被った。
(二) 被告の主張
原告の主張は否認する。
第三当裁判所の判断
一 争点1について
1 被告が、塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤につき、別紙目録三記載のとおり、本件各特許権の存続期間中に医薬品製造承認を受けたこと、被告は、右製造承認申請に必要な資料を得るための各種試験において、甲発明の技術的範囲に属する塩酸プロカテロールを自ら製造するか、または輸入若しくは他より購入して使用し、乙発明の技術的範囲に属する医薬品を製造する必要があったことは、前記のとおり争いがない。してみると、被告は、原告の本件各特許権の存続期間中に、特許法二条三項一号に規定する「実施」行為を行ったものと認められる。
2 特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有し(特許法六八条本文)、特許権は、独占排他権であるから、特許権者の了解なくして特許発明を業として実施することは原則としてできない。
他方、特許法の目的が、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する(特許法一条)ことにあることからすれば、独占排他権である特許権の効力も、特許権を保護することによる発明者又はその権利の承継人の利益と、特許権という独占権を認めることによるマイナスの効果を抑え、社会一般の利益とのバランスを図るという産業政策上の見地から制限されることがあるのは当然である。
また、特許制度は我が国の諸法制の一分野であって、他分野と関係なく存在するものではなく、他分野の法制と整合、調和して存在すべきものであり、現に特許法は、三二条、六九条二項、三項、九三条などに見られるように、公益目的から特許権の成立及び内容に種々の制限を加える規定を置いており、特許法が目的として掲げるところも、関係する諸制度との整合、調和を考慮した上での発明の保護、産業の発展への寄与と解すべきものであり、そうであってこそ、特許権者の利益と社会一般の利益を図ることができるものである。
特許法六九条一項は、「特許権の効力は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない。」旨を明らかにしているところ、前記のような特許法の立法趣旨に鑑みると、特許法六九条一項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」の意味の解釈にあたっては、特許法自体の諸規定と特許制度に関連する諸制度との整合性を考慮しつつ特許権者の利益と第三者ないしは社会一般の利益との調整を図るという観点から考量して決するべきものと解される。
3 以下、右2の基本的観点から、特許法六九条一項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」の意味について検討する。
(一) 特許制度は、特許権者に業として特許発明の実施をする権利を専有させ、自ら実施することにより又は他人に実施させてその対価を得ることにより、経済的利益を独占させることで発明を奨励することを一つの根幹とするものであるから、特許権者又は特許権者の許諾を受けた者の実施行為と直接競業することになる実施行為や、譲渡の対価、使用による便益の対価及び製造物の蓄積・保存等の直接の利益を目的とする実施行為は、試験又は研究の名目で行われたとしても、特許法六九条一項所定の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当しないことは当然である。
(二) 技術を次の段階に進歩させることを目的とする試験研究のためにする特許発明の実施に特許権の効力が及ぶものとすることは、特許権者の保護を重視するあまり、技術の進歩を阻害し、産業の発達を損なうものであるから、そのような特許発明の実施は、特許法六九条一項所定の試験又は研究のためにする特許発明の実施に該当するものであるが、同条同項所定の試験又は研究のためにする特許発明の実施はそのような場合に限られるものではない。特許制度を設け、発明者に発明を公開させ、その代償として一定期間特許発明の実施をする権利を専有させるのは、一方では、発明を公開させ、関心のある第三者に発明の内容に接することを可能にして社会一般の技術水準を特許発明の水準にまで向上させることをも目的としているのであるから、明細書に開示されたところに基づいて、その特許発明の実施を追試験し、実施上の問題点を認識、解決し、効率的な実施の具体的条件を探知するための試験、研究、言い換えれば当該特許発明の技術レベルに達するための試験、研究のための特許発明の実施も特許法六九条一項により特許権の効力が及ばないものと解するのが相当である。
(三) また、以上のようなもっぱら技術水準の向上に資するための試験、研究ばかりではなく、特許発明が実施可能であるか否か、従来技術と対比して新規性、進歩性があるか否かを確認するための試験、研究、すなわち、結果如何によっては、特許の異議あるいは無効審判請求の証拠とすることを目的とし、特許権者の利益に反することになる試験、研究も、所定の要件を具備した発明に対してのみ特許権による保護を与え、誤って、要件を具備しない発明が特許された場合には、異議、無効審判請求等の手続により特許の効力を消滅させることを予定している特許制度全体の趣旨、特許制度自体を健全に維持、運営するという、社会一般の利益という観点からすれば、特許法六九条一項所定の試験又は研究に該当するものとして、そのための特許発明の実施には特許権の効力が及ばないものと解するのが相当である。
4 更に、前記2及び制度の維持運営という公益目的に資する「試験又は研究」も特許法六九条一項所定の「試験又は研究」に含まれると解されること(前記3(三))に加え、以下の諸点に鑑みると、被告が行った本件製剤の製造承認申請のための試験は特許法六九条一項所定の「試験又は研究」に該当し、その際の特許発明の実施には特許権の効力が及ばないと解するのが相当である。
(一) 特許権の存続期間は法律で定められ、一定の要件を具備した特許権については存続期間の延長も認められているが、存続期間が経過すれば、何人であっても特許されていた発明を自由に実施することができ、特許権者であった者は、それを制限することができない。
それは、発明を公開した者に対し、その代償として一定期間、業としてその発明を実施する権利を専有させるが、その期間の経過後は、一般社会の誰もがその発明を実施することができるものとすることによって、競争が可能な状態を回復し、特許権者の利益と一般社会の利益の調和を求めつつ、技術の進歩と産業の発展を図る特許制度のもう一つの根幹を具体化したものであり、そのことは技術の発展への貢献の度合、発明の過程で投下された資金や労力、発明の実施がもたらす利益の多寡等の観点から見た発明の価値の高低に関係するものではない。
(二) 右のように、特許権の存続期間の経過により、特許されていた発明を自由に実施できるといっても、それは、特許法上の制約がないというにすぎず、他の法令による規制を受けることがあることは当然である。本件のような医薬品については、薬事法による規制を受けるものであり、同法によれば、厚生大臣が基準を定めて指定する医薬品以外の医薬品を製造し、輸入しようとする者は厚生大臣の承認を受けることを要するものであり(同法一二条一項、一三条一項、一四条、二三条)、厚生大臣は、医薬品等につき、これを製造しようとする者から申請があったときは、品目ごとにその製造についての承認を与える(同法一四条一項)もので、承認は、申請に係る医薬品等の名称、成分、分量、用法、用量、効能、効果、性能、副作用等を審査して行う(同条二項)ものとされ、右承認を受けようとする者は、厚生省令で定めるところにより、申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならない(同条三項)。
これを本件についてみると、前記認定のとおり、被告は、原告の本件各特許権の存続期間満了後直ちに医薬品を製造販売するため、医薬品の製造承認申請に必要な資料を得ようとして、甲発明の技術的範囲に属する塩酸プロカテロールを自ら製造するか、又は輸入若しくは他より購入して使用し、乙発明の技術的範囲に属する医薬品を製造したうえ、<1>規格及び試験方法に関する資料、<2>加速試験に関する資料(一定期間変化のないことを示す資料)、<3>生物学的同等性に関する資料(先発と同等の有効性等)を得るための各種試験を行い、これによって得た資料を添付して、いわゆる後発品の製造承認を申請し、第二(事案の概要)二(争いのない事実)3(一)のとおり、医薬品製造承認を得たものである。
そして、被告は、右試験のためにその限りで甲発明及び乙発明を実施したが、これによって、直接収益を得たわけでもなく、右甲発明及び乙発明の実施によって特許権者であった原告と直接競業したものでもない。
(三) ところで、薬事法は、医薬品等の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うこと等により保健衛生の向上を図ることを目的とする(薬事法一条)ものであり、同法に基づく医薬品の製造承認のための審査は、医薬品の有効性や安全性の確保を目的とする、極めて公益性の強いものであって、その承認申請に添付すべき審査資料を得るため、前記各種試験が要求されるのも、同様に医薬品の有効性や安全性を確保し、国民の保健衛生の向上に資するという目的を達成するためである。
薬事法が、後発製造者に対し、医薬品製造承認にあたり、一定の年月を要する前記認定のような各試験の実施及びそのデータの添付を求め、相当の期間をかけて審査を行うのは、ひとえに将来後発品を投与されるであろう多数の患者の安全を確保するため、既に充分な資料による審査を経て、市販後六年間のデータに基づく再審査でも承認を拒否する事由のないことの確認された先発品と品質において同等であり、同様の有効性、安全性があることを担保するためであり、当該医薬品に関する特許権者又は先発品製造者の独占的地位を保護することを目的とするものでは、決してない。
(四) しかし、原告の主張するとおり、後発品についての医薬品製造承認申請に添付すべきデータを得るための試験が当該医薬品についての特許権の侵害に当たり、その特許権の存続期間終了後に開始すべきものとすることは、原告の主張するところでは、試験期間六か月、審査に要する期間二か年の合計二年六月の間、仮に審査に要する期間が関係者の努力によって短縮されるとしても相当長期間にわたり、特許権者が、特許権の存続期間の終了後もなお、当該発明の実施を排他的に実施できる結果となる。
(五) 他方、このように、薬事法が医薬品について製造承認を要するものとするのは、医薬品の品質、有効性及び安全性の確保を目的とするものであり、発明の保護及び利用を図ることにより発明を奨励し、産業の発展に寄与するという特許法の目的とは別のものであるけれども、医薬としての有効成分を有する物の発明、医薬品の発明の実施と薬事法による規制は実際上関係する面があり、特許権の存続期間の延長登録の理由となる処分として薬事法一四条一項等の承認が定められる(特許法施行令一条の三)など、薬事法に基づく規制と特許制度の調整が必要なことは、特許法自体が予定しているところである。
(六) 前記2及び3(三)に説示したところ、並びに右(一)ないし(五)の諸点、とりわけ、特許権の存続期間経過後は何人も特許されていた発明を実施することができることは、特許制度の根幹の一つであること、薬事法が、後発品の、医薬品の製造承認の申請に、実施に一定の期間を要する実験によるデータを添付することを求め、一定の期間をかけて審査する(原告の主張によれば右期間の合計は二年六月に上る。)のは、後発品が先発品と品質において同等であり、同様の有効性、安全性があることを担保するためであり、当該医薬品に関する特許権者又は先発品製造者の独占的地位を保護することを目的とするものではないこと、薬事法に基づく規制と特許制度の調整が必要なことは特許法自体が予定していること、被告は本件試験のために甲発明及び乙発明を実施したが、これによって直接収益を得たわけでもなく、甲発明及び乙発明の実施によって原告と直接競業したものでもないことを考慮すれば、薬事法に基づきいわゆる後発品の製造承認の申請に添付する目的で、必要な試験としてされた甲発明及び乙発明の実施は、それが特許権の存続期間内に後発品の製造、販売を開始するためのものでない限り、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当し、特許権の効力は及ばないものと認めるのが相当である。
(七) 被告は、別紙目録三記載のとおり薬事法一四条所定の医薬製造承認を得たが、実際に塩酸プロカテロールを有効成分とする気管支拡張剤を製造販売したのは、本件甲特許権乙特許権の存続期間の経過後であることからすれば、被告が医薬品製造承認申請に添付するデータを得るための試験を行ったのは、特許権の存続期間経過後に製造販売する目的であり、存続期間中に製造販売する目的はなかったものと推認することができる。
5 以上のとおり、被告が本件各特許権の存続期間中に行った製造承認申請に添付するための試験は、いずれも特許法六九条一項に規定する「試験又は研究」に当たり、そのためにする特許発明の実施に甲特許権及び乙特許権の効力が及ぶものではないから、違法性はないというべきである。
二 結論
よって、被告が本件各特許権の存続期間中に行った試験のためにする各特許発明の実施に違法性があったことを理由として、本件各特許権の存続期間満了後の被告の行為が何らかの違法性を有するとの主張は理由がないから、その余の争点について判断するまでもなく、右実施が違法であることを前提とした差止め、廃棄、整理届の提出及び損害賠償請求は、いずれも理由がない。
別添特許公報抄本1、2<省略>
別紙 目録(一)
左記式
で表される5-〔(1-ヒドロキシ-2-イソプロピルアミノ)ブチル〕-8-ヒドロキシカルボスチリル塩酸塩1/2水和物(一般名 塩酸プロカテロール)
別紙 目録(二)
別紙目録(一)記載の物質を有効成分とする気管支拡張剤
別紙 目録(三)
被告名
販売名
承認年月日
東和薬品株式会社
エプカロール錠25
平成4年3月4日
エプカロール錠50
平成4年3月4日
エプカロールシロップ
平成8年3月15日